栃木県栃木市藤岡町 本物の絶品うなぎ(共水うなぎ)をぜひ『うなぎ料理専門店せしも』でご賞味ください。

完全予約制 本物のうなぎ 

栃木うなぎ料理専門店せしも

〒329-0316 栃木県栃木市藤岡町石川315-2
https://www.unagi-seshimo.jp
営業時間
お食事  12:00~14:00(ラストオーダー13:30)
     17:00~20:00(ラストオーダー18:30)
       【通常営業は17:00~21:00(ラストオーダー19:30)】
物販営業 9:00~18:00

 

定休日:日曜夜・月曜・火曜

予約をお勧めいたします
当日来店も承りますが、お席の関係で
お待ちいただく事もございます

 

お気軽にお問合せください

0282-67-2551

なぜ、鰻屋になったのか・・・

18歳で、うなぎの修業をしたいと、父に申し出たとき、父から、だめ!といわれました

は? でした

いまになると、父の心境がよくわかります。

と、いうのも、両親は他界していますから、真相は謎ですが、あくまで、想像ですよ^^

きっと、ぼくが修業してきたら、父は、祖父と僕の中間になって、ポジションが悪くなることを考えたのではないか、

きっと、頭の片隅にあったかもしれません。

しかし、父から聞いた言葉は、体験をしなさい

でした

なので、では、遊ばせていただきましょう~

と、いうことで、

スキーを通じて、12年間、世界中の旅をして、

世界中の人とふれあい、世界中の美味しいものを
現地で食べまくりました。青春です

スキーですので、アジアはなかったのですが・・・

海外のスキー場で、スキーは、やはり、ブルジョアのスポーツです、
自分がそうと言うわけではなく・・
たくさんの、お金もちと、お酒を交わす機会もありました。

 

たくさんの、お金持ちと、外国の方々と触れあってみて、思いましたが、

人間は、
食べる事、芸術、異性は、万国共通だと
強く感じました。

 

そんな、世界の方々とふれあって、旅をして、
日本の政治がなんだ、かんだ、ま、色々とはありますが、
12年も世界をまわると、八百万の神々の住む国
日本と言う国と人、
改めて、日本の国と日本人の素晴らしさをいろいろと感じることが
出来たと思います。

 

また、海外と比較して、日本の食の豊かさ、深さを、改めて、感じました。

 

食べ物ごとに、季節ごとに、器の色、形まで変えると言う国は、
ほとんど、ありません。

 

また、食事のお皿に、口にする以外の、季節の飾り物をのせることも、
海外では、あまりありません

 

私は、食の世界に限りますが、スキーと言うものを通してですが、
日本の食文化の豊かさを本当に感じました

 

現在の日本は、スーパーや大手の頑張りで?

個人店の、心のこもった食べものと言うより、
失礼ですが、
機械が作った えさ?
のような、食べ物ばかりが、跋扈するようになってはいますが、

まだまだ、個人店で、頑張られている方々は、たくさんおられます

 

せしもと縁のあった貴方様におかれましては、
チェーン店ではなく、
ぜひとも、頑張られている個人店のお店を、御予約されて、
貴方の、大切な方々と、
大切な時間と、
温かい食事を楽しんで頂きたいと、思っています

 

ふと、思いましたが、


私の好きな店  を、すこしだけシリーズ化してみたいとおもいます。

 

そちらも、お楽しみください。

 

また、個人のお店を応援することが、
日本の食文化に、貢献していることに、つながるんではなかろうか・・・
風がふけば、おけ屋がみたいな・・・
たのしい心持で、
各地方、各都市で、

頑張られている、個人店のお店を、みつけて、仲間とシエアして、
応援していただきたいと、いつも、思っております。

 

戻ります、

たまたま、実家が、川魚屋でしたし、父は鰻職人でしたが、
思春期は、
後を継ぎたいとは、余り考えませんでした。

 

幼少期は、鰻の香りが漂う、スポーツカーでの父の配達に
憧れたりも、しましたが・・・

 

スキーで、12年世界を回って、
たくさんの、海外の食事に触れ
日本のたべものに、かかわりたいと、
世界中を回って、改めて本気で思えました。

 

なぜか、パスタではなかったし、フレンチでも、なかったんですよね


不思議です。

 

でも、実は、
スキーを通じて、体を壊し、体を治してもらう機会が多くなるにつれ、
体をケアする人、治療家と、鰻屋という
二つの悩みもあったりしました

 

今もですが、当時、
友人の、治療家が、たくさんいました。

 

治療家と、料理家


二つとも、テーマは 癒しと、喜び でした。

 

価値を創造して、価値を提供する


今もそうですが、そんな想いも、ありました。

 

治療家を極めながら、(価値の創造と提供)

 

一日に何人かの体をケアして、喜びと癒しを提供したいのか、


または、
人は、食べる事で、幸せにもなり、癒されもします。

 

料理というものを極めながら、(価値の創造と提供)

食事の提供で、幸せと、癒しを提供したいのか・・・

 

もし、家が、なにがしかの、治療院だったとしたら、


間違いなく、今は、治療家になっていただろうと思いますし、


もし、家業に関係のない、二男、三男だったとしたら、
これまた、治療家になっていただろうと思います。

 

こんな話がありますが、
世界のお金持ちたちは、あまり、外食をしません

というのは、自宅に、一流シェフを呼び

原価を考えずに、素晴らしい食材を、素晴らしい調味料で
料理したら、レストランより、豊かで、美味しいものが食べられる・・・

と、お金持ちたちは、口をそろえて、言っていたことを思い出します。

海外は、ホームパーテーも、多いですしね。

 

そこで、なに?

鰻は、マニアックな修業をしないと、無理だし、海外には鰻職人はいないぞ!

和食の職人も、海外にはいないぞ!!

 

みたいな、へんな、モチベーションのあおられかたをして


治療家よりも、家業に近い選択をしたのかも・・・

 

そんな決断をしたことも、いま、書きながら、思いだします。

 

美味しい鰻を食べたお客様が、


生まれて初めて、こんな美味しいもの食べた、
とか、

また、一か月頑張れるわ
とか、

顔を紅潮させて、美味しかった


と言っていただけた瞬間が、料理人になって、良かったな~
と、思う瞬間です。

 

そんな、高尚な、心持で、
ブルジョアのスポーツ、スキー三昧から、
鰻の修業時代へと、突入していくわけです。

 

その、高尚な心持が、どれほどの苦難を、
鰻の修業時代に生むきっかけとなったのか・・・

 

そんな、修業時代の話も、
してみたいと、思ってきました・・・

 

では


修業の道  珍道中~  の巻


お楽しみください。